行政とデジタル

AI時代に問われる人間と行政の役割

執筆日:2026年5月27日

著者:良知駿一

はじめに:デジタル化の先にあるAI社会

日本では、行政手続や社会の仕組みにおいて、長く紙や対面を前提とした運用が残ってきました。デジタル化の必要性は以前から指摘されてきましたが、実際の現場では、制度、慣習、組織のあり方などが壁となり、十分に進んできたとは言いにくい面がありました。

しかし、コロナ禍を経て状況は大きく変わりました。オンライン会議、電子申請、キャッシュレス決済、遠隔教育、テレワークなどが一気に広がり、デジタル技術は特別なものではなく、日常生活や行政運営を支える基盤として認識されるようになりました。

そして今、次の段階としてAIが社会に組み込まれようとしています。

AIについて語られるとき、最近は生成AIの便利さや危うさに注目が集まりがちです。しかし、AIは一時的な流行ではなく、今後ますます社会の中に組み込まれていく技術だと考えています。

AIは、文章を作るだけのものではありません。情報を整理し、分類し、予測し、選択肢を示し、優先順位をつける存在になっていきます。そうなると、AIは単なる便利な道具ではなく、人間が情報を受け取り、社会を理解し、判断する過程に関わる存在になります。

だからこそ、重要なのは「AIを使うか使わないか」という単純な議論ではありません。AIに何を任せ、何を人間が判断するのか。AIによって変わる仕事、教育、福祉、防災、地域社会を、行政がどう支えていくのか。そして政治が、効率性だけでなく公平性や説明責任、人間の尊厳をどう守るのか。

ここでは、技術論だけにとどまらず、人間とAI、そして行政・政治との関わり方から、AI時代の社会のあり方を考えていきます。


1. AIとは何か

AIについて考えるためには、まずAIという言葉が何を指しているのかを整理する必要があります。近年は生成AIの印象が強くなっていますが、AIはそれだけを指すものではありません。

AIは、長い研究の積み重ねのうえに発展してきた技術であり、コンピュータの得意分野を広げながら、人間の知的作業の一部を支援するものとして社会に広がりつつあります。ここでは、AIの基本的な意味、歴史的な経緯、そして現在注目されている生成AIの特徴を整理します。

1-1. AIという言葉の広がりとコンピュータの得意分野

AI、すなわち人工知能という言葉は、近年非常に広く使われるようになりました。特に、文章や画像を作る生成AIが注目されていますが、AIは生成AIだけを指すものではありません。

画像を認識するAI、音声を文字にするAI、過去のデータから将来を予測するAI、大量の情報を分類するAI、複雑な条件の中から最適な組み合わせを探すAIなど、さまざまな技術がAIと呼ばれています。

大きく捉えれば、AIとは、人間がこれまで行ってきた知的作業の一部を、コンピュータによって支援しようとする技術です。人間の仕事をすべて置き換えるものというより、認識、分類、予測、最適化、生成といった作業を、コンピュータの力で扱えるようにするものだと考えるとわかりやすいと思います。

コンピュータはもともと、大量の計算、記録、検索、比較、組み合わせ処理を得意としてきました。人間が時間をかけて行う計算を一瞬で処理したり、膨大な情報の中から必要なものを探したり、条件に合うものを並べ替えたりすることは、コンピュータが得意とする領域です。

AIは、その得意分野をさらに広げました。これまで人間が経験や勘で行ってきた、情報の分類、傾向の把握、将来の予測、複数案の比較、条件に応じた最適化、異常の検知、文章や画像の生成などを、コンピュータが支援できるようになっています。

この点は、行政や社会のあり方を考えるうえでも重要です。

その意味でAIは、単なる便利ツールではなく、行政や社会の判断材料をつくる仕組みになり得ます。

1-2. AIは突然出てきた技術ではない

現在のAIは、急に現れたもののように見えるかもしれません。しかし、AIの研究そのものは、コンピュータの発展とともに長く続いてきました。

人工知能という考え方は、少なくとも1950年代から研究されてきました。特に、1956年にアメリカで開かれたダートマス会議は、AI研究の出発点の一つとしてよく知られています。[1] 当時から、人間のように考えたり、問題を解いたりする機械をつくることが目指されていました。

ただし、AIは一直線に発展してきたわけではありません。期待が高まった時期もあれば、技術的な限界や計算能力の不足によって停滞した時期もありました。いわゆる「AIブーム」と「AIの冬」を繰り返しながら、研究と実用化が進んできた技術です。

初期のAIは、人間があらかじめルールや知識を与え、それに従って答えを出すものが中心でした。たとえば、「この条件ならこの答えを出す」「この特徴があればこの分類に入れる」というように、人間が判断基準をコンピュータに教える形です。

しかし、現実社会は非常に複雑です。すべての条件や例外を、人間があらかじめ書き尽くすことはできません。ここに、ルールを教えるAIの限界がありました。

その後、AIは、人間が細かなルールをすべて書く方式から、大量のデータをもとにコンピュータが傾向や特徴を見つける方式へ発展していきました。これが機械学習です。機械学習は、明示的に細かな指示を与えなくても、訓練データのパターンを学び、新しいデータに対して推論や予測を行うAIの一分野です。

さらに、深層学習、いわゆるディープラーニングの発展によって、画像認識、音声認識、翻訳、自然言語処理などの実用化が大きく進みました。深層学習は、機械学習の一分野であり、多層のニューラルネットワークを用いることで、画像や音声、言語などの複雑なデータを扱う力を高めてきました。

私自身も、学生時代にニューラルネットワークの基礎的なアルゴリズムを学ぶ授業を受けた記憶があります。当時は、現在の生成AIのように社会全体で話題になる技術ではありませんでしたが、AIの基礎となる考え方や研究は、すでに教育や研究の現場で扱われていました。

そう考えると、AIは突然現れた新技術というより、長く研究されてきた技術が、計算能力、データ、インターネット、機械学習の発展によって、社会の表舞台に出てきたものだと言えます。

1-3. 生成AIでAIは人間の言葉を扱う存在になった

近年注目されている生成AIは、文章、画像、音声、動画、プログラムなどを作り出す技術です。これまでのAIが、認識する、分類する、予測するといった使われ方を中心としていたのに対し、生成AIは、人間の言葉を受け取り、それに応じて文章を作り、説明し、要約し、対話することができます。自然言語処理は、コンピュータが人間の言語を扱うためのAI分野の一つであり、生成AIの発展によって、人間の言葉を通じたやり取りがより身近になりました。

ここで重要なのは、生成AIが単に文章や画像、音声などを作れるようになったことだけではありません。人間が普段使っている自然な言葉で、コンピュータに指示し、相談し、確認しながら作業を進められるようになったことです。

これまでコンピュータを使うには、検索キーワードを工夫したり、ソフトの操作方法を覚えたり、場合によっては関数やプログラムを書く必要がありました。つまり、人間がコンピュータの使い方に合わせる必要がありました。

しかし生成AIによって、「この資料を要約してほしい」「条件を比較してほしい」「別の案を出してほしい」「この考え方に反論してほしい」といった形で、人間の言葉のままコンピュータに働きかけることができるようになりました。

これは、疑似的ではあっても、人間とコンピュータが自然言語で対話できるようになったという点で、大きな変化です。ただし、自然な言葉で答えるからといって、AIが人間と同じように理解しているわけではありません。ここに、生成AIの便利さと危うさの両方があります。

1-4. AIの限界と向き合い方

AIは強力な技術ですが、万能ではありません。

AIの答えは、使うデータ、設計、目的、運用方法に左右されます。データが偏っていれば、結果も偏ります。前提が間違っていれば、出てくる答えも間違います。また、AIがなぜその答えを出したのか、人間にとってわかりにくい場合もあります。

したがって、AIについて考えるときに大切なのは、「AIはすごいから任せればよい」でも、「AIは危ないから使わない」でもありません。

また、新しい技術を評価するときには、現時点の性能だけで判断しすぎないことも重要です。AIに対しても、「今は間違えるから使えない」「今は精度が低いから行政には向かない」といった議論がされることがあります。もちろん、現在の限界や危険性を軽視してはいけません。しかし、AIは今後も技術の改善が進み、使う側の経験も蓄積され、社会での使われ方も変化していきます。

現在の性能だけを見て否定するのではなく、将来的にどのように発展し、どのような形で社会に組み込まれていくのかを見通すことが必要です。そのうえで、AIが何を得意とし、何を苦手とするのかを理解し、人間が責任を持って使うことが重要です。


2. AIは人間の代替になるのか

AIについて考えるとき、多くの人が気にするのは、「AIは人間の代わりになるのか」という問いではないかと思います。AIが発達すれば、人間の仕事はなくなるのか。人間の判断までAIに任せられるようになるのか。あるいは、AIは人間のような存在になっていくのか。

この問いに対しては、単純に「代替できる」「代替できない」と答えるのではなく、何がAIに任せられ、何が人間に残るのかを分けて考える必要があります。

2-1. SFの中のAIと現実のAI

AIというと、映画や小説、アニメに登場する、人間のように考え、感情を持ち、自ら意思決定する存在を思い浮かべる人もいるかもしれません。たとえば、『2001年宇宙の旅』のHAL 9000は、宇宙船の運航を支えるAIとして描かれています。『ターミネーター』シリーズのスカイネットは、人間の制御を離れて自律的に判断するAIです。また、『攻殻機動隊』では、人間と機械、身体と意識、個人とネットワークの境界が揺らぐ社会が描かれています。

これらの作品に共通しているのは、AIが単に便利な道具として描かれているだけではなく、人間とAIの間で主導権がどこにあるのかが問われている点です。AIが人間を補助する存在にとどまるのか、人間に代わって判断する存在になるのか、あるいは人間の制御を離れてしまうのか。SFの中のAI像は、極端な形ではありますが、AIと人間の関係を考えるうえで重要な問いを投げかけています。

現実のAIも、人間に似た作業を行うようになっています。文章を作る、説明する、要約する、画像や音声を認識する、情報を分類する、選択肢を示す。特に生成AIは、人間の言葉に応じて文章を返すため、まるで人間と会話しているように感じられることがあります。

しかし、現実のAIは、少なくとも現時点では、SFに登場するような「人間そのもの」ではありません。人間に似た言葉を返し、人間に似た作業を行うことはあっても、人間と同じように世界を経験し、責任を負い、価値を選び取っているわけではありません。

だからこそ、AIを考えるときには、「人間の代わりになるのか」という問いを、そのまま受け入れるのではなく、どの作業はAIに任せられるのか、どの役割は人間が引き受けるべきなのかに分けて考える必要があります。また、AIが判断のどの段階に入り、人間がどこで主導権を持ち続けるのかという点も重要になります。

2-2. 人間とAIの違い

私は、人間と現在のAIを分ける重要な要素の一つは、「身体性」の有無にあると考えています。ここでいう身体性とは、AIが人間の身体を持っていないということです。[2]

人間は、身体を通して周囲の環境を感じ取り、暑さや寒さ、痛みや疲れ、距離感や危険を自分の感覚として受け止めながら生活しています。また、生きていこうとする感覚があり、自分や家族、地域の生活を守ろうとする意識があります。人間の判断は、頭の中だけで行われているのではなく、身体を持って生活している実感と深く結びついています。

一方で、AIは人間のような身体を持って生活している存在ではありません。ロボットや自動運転、いわゆるフィジカルAIのように物理的な機械と結びついたAIはありますが、それでも人間と同じ身体感覚や生活実感を持つわけではありません。したがって、距離の遠さ、移動の負担、現場の緊張感、生活の不安を、自分自身の経験として理解しているわけではありません。

たとえば、地図上では短い距離に見えても、高齢者や子ども連れにとっては大きな負担になることがあります。避難所までの距離が近くても、雨の日や夜間、坂道、荷物の有無によって、実際の移動の難しさは変わります。行政の判断には、こうした身体を持って生活している人間の実感が関わります。

身体を持って生活しているからこそ、人間は判断の結果を、自分や他者の生活への影響として受け止めます。そこから、責任を負うことや価値を選ぶことの重みが生まれます。

そのため、人間とAIの違いは身体性だけではありません。行政や政治に関わる場面では、責任を負うこと、価値を選ぶこと、住民に説明し納得を得ること、現場の空気や文脈を受け止めること、数字には表れにくい不安や違和感を扱うこと、少数意見の重みを判断すること、将来世代への責任を考えることが重要になります。

これらは、単に情報処理の問題ではありません。

たとえば、ある政策について、AIが「費用対効果が高い案」を示すことはあるかもしれません。しかし、その案によって不利益を受ける人がいる場合、それをどう受け止めるのか。地域の歴史や生活実感をどう考えるのか。効率性と公平性をどう両立させるのか。こうした判断は、人間が引き受けなければなりません。

AIは、過去のデータや与えられた条件をもとに、もっともらしい答えを出すことはできます。しかし、その答えが社会にどのような影響を与えるのか、誰に不利益が生じるのか、どのような価値を優先すべきなのかを、自分自身の責任として判断することはできません。

AIは判断材料を示すことはできますが、価値判断そのものを社会の責任として引き受けることはできません。ここに、人間とAIを区別して考えなければならない理由があります。

2-3. 代替ではなく役割分担として考える

AIをめぐる議論では、「AIが人間の仕事を奪うのか」「AIに人間の代わりができるのか」という形で語られることがあります。もちろん、AIによって変わる仕事、縮小する仕事は出てくるでしょう。

特に、情報を整理すること、文章を作ること、資料を要約すること、複数の選択肢を比較すること、過去のデータから傾向を見つけること、条件を変えながらシミュレーションすることなどは、AIが得意とする領域です。これまで人間が時間をかけて行ってきた作業の一部は、AIによって補助されたり、場合によっては代替されたりしていくと考えられます。

しかし、社会全体として考えるべきなのは、AIが人間を置き換えるかどうかだけではありません。より重要なのは、人間が何をAIに任せ、何を人間が引き受けるのかを明確にすることです。

AIは、情報を整理し、選択肢を示し、比較材料を増やすことができます。しかし、その材料をどう受け止め、何を選び、結果に責任を負うのかは人間の役割です。他者に説明し、必要に応じて合意形成を図ることも、AIだけに任せられるものではありません。

AIを使うと、人間が考えなくなるのではないかという懸念があります。この懸念には一定の理由があります。AIは、短時間でもっともらしい文章や資料、選択肢を示すことができるため、それをそのまま受け入れてしまえば、人間が自分で考え、確認する機会は減ってしまいます。

しかし、提示された情報を十分に確認せず受け入れてしまうことは、AI以前からありました。新聞やテレビ、ワイドショー、専門家の意見、近年ではSNS上の情報を、そのまま信じてしまうこともあります。組織の中でも、部下が作成した資料、外部委託先の報告書、前例や慣例を十分に検証せず、受け入れてしまうことは起こり得ます。

問題は、AIそのものというより、提示された情報や成果を人間が鵜呑みにする姿勢です。ただし、AIは従来のメディアや資料と違い、個別の問いに対して瞬時に、それらしい答えを返します。そのため、人間が考えなくなる危険を強める可能性があります。

だからこそ、AI時代には、AIの答えをそのまま受け入れるのではなく、何が前提になっているのか、何が抜け落ちているのか、最終的に採用してよいのかを確認する力がより重要になります。

つまり、人間とAIの関係は、単純な代替ではなく、役割分担として考えるべきです。

AIの強みを否定する必要はありません。むしろ、人間が苦手な部分をAIに補わせることで、人間は本来引き受けるべき判断や説明、調整に力を向けることができます。

AIを使うほど、人間の役割が軽くなるわけではありません。むしろ、AIが示した結果をどう受け止め、どこまで採用し、何を修正し、最終的にどう説明するのかという、人間の責任はより明確になります。

AI時代に必要なのは、AIに任せることと、人間が引き受けることを分ける力です。その役割分担を考えることが、これからの社会、行政、政治にとって重要になります。


3. AIが社会に浸透すると

AIが社会に浸透すると、AIは目に見える道具としてだけでなく、サービスや制度の裏側で動く存在になっていきます。表向きはこれまでと同じ手続きや画面に見えても、その背後でAIが情報を整理し、選択肢を示し、人間のものの見方に影響を与えるようになります。

そのとき重要になるのは、AIがどこで使われているのか、何を材料としているのか、そして人間の考え方や判断過程にどのような影響を与えるのかです。この章では、AIが社会に入り込む形、ものの見方の前提をつくる仕組み、そして思考過程が見えにくくなる問題を整理します。

3-1. AIは意識しないところで社会に入り込む

AIと聞くと、専用のサービスや特別なアプリを使う場面を思い浮かべるかもしれません。しかし実際には、AIはもっと自然に、目立たない形で私たちの生活や仕事の中に入り込んでいくと考えられます。

たとえば、表向きはこれまでと同じ検索サービス、予約サイト、申請画面、相談窓口、業務システムに見えていても、その裏側でAIが動くようになります。何かを検索するときにはAIが情報を要約し、買い物や移動ではAIが候補を並べ、仕事で資料を作るときにはAIが論点を整理する。行政サービスを利用するときにも、表向きは通常の案内や相談に見えながら、裏側ではAIが制度や手続きの情報を整理し、人間に選択肢を示すようになる可能性があります。医療や福祉、防災、教育、産業などの場面でも同じことが起こり得ます。

このとき、利用者は必ずしも「今AIを使っている」と意識するとは限りません。画面や窓口の見た目は大きく変わらなくても、その裏側でAIが情報を選び、候補を示し、説明を補い、次の行動につなげている場合があります。検索、予約、申請、相談、移動、買い物、情報収集といった日常的な行動の中で、AIが自然に組み込まれていくということです。

つまり、AIは単独の道具として存在するだけでなく、さまざまなサービスや制度の中に溶け込み、人間が社会にアクセスする入口の一部になっていきます。

このことは便利さを生みます。必要な情報に早くたどり着ける。複雑な制度をわかりやすく案内してもらえる。自分に合った選択肢を見つけやすくなる。こうした利点は大きいと思います。

一方で、AIが自然に入り込むほど、人間はAIが整理した情報や、AIが示した選択肢を通じて社会を見るようになります。検索結果やおすすめ情報は、私たちが何を見るか、何を知るかに影響します。行政の案内や相談でAIが使われれば、住民がどの制度を知り、どの窓口にたどり着くかにも影響します。職場でAIが資料を要約すれば、職員や組織が何を重要な論点として受け止めるかにも影響します。

AIがシームレスに社会の中で動くようになるほど、AIは単なる裏側のシステムではなく、人間が社会を理解する入口の一部になっていきます。

3-2. AIはものの見方の前提をつくる

AIが社会に浸透すると、人間が考えたり選んだりする前の段階で、AIが材料を整理するようになります。

ここで重要なのは、AIが何をもとに材料をつくるのかという点です。何をデータとして集めるのか。その中で、どの項目を評価や比較に使うのか。さらに、どの要素をどれくらい重く見るのか。これらは単なる技術設定ではなく、結論の方向を左右する重要な設計です。

たとえば、道路や橋の修繕の優先順位を考える場合、AIはさまざまな判断材料を扱うことになります。橋の建設年数、点検結果、ひび割れや腐食の状況、交通量、通学路や緊急輸送路に当たるかどうか、迂回路の有無、近くに病院や福祉施設があるか、過去の災害履歴、修繕費用などです。

しかし、必要な項目が足りなければ、AIが示す優先順位も偏ります。交通量だけを重く見れば、利用者の少ない中山間地の道路や橋は後回しになりやすくなります。修繕費用だけを重く見れば、費用はかかるが生活に不可欠な路線が不利になるかもしれません。点検結果だけを見て、通学路や救急搬送、災害時の避難経路としての重要性を入れなければ、地域にとって本当に必要な場所が見落とされる可能性もあります。

このように、AIが材料づくりに関わる場合には、単にデータを多く集めればよいわけではありません。何を項目に入れるのか、何を重く見るのか、逆に何がデータに入っていないのかを確認することが重要です。地域ごとの災害リスク、申請内容の確認、支援が必要な住民の把握、事業効果の見込みなどでも、同じ問題が起こり得ます。

これは他の分野でも同じです。何を項目に入れるかによって、見えてくる課題も、後回しになる課題も変わります。どのデータを使い、何をリスクと見なし、何を効率的と考え、何を優先するのかという設計は、社会の中で誰を優先し、何を大切にするのかというルールに近い影響を持ちます。

そして、そのように設計された前提をもとに、AIは情報を要約し、分類し、選択肢を示し、優先順位をつけるようになります。AIが最終的な決定をしていなくても、何が要約され、何が省略されるのか、どの選択肢が先に示されるのか、どのリスクが高く扱われるのかによって、人間の考え方は影響を受けます。

だからこそ、AIを使うときには、最終的な決定だけでなく、その手前にある材料がどのようにつくられているのかにも注意する必要があります。

3-3. AIは思考過程を見えにくくする

前節で見たように、AIは情報を整理し、ものの見方の前提をつくります。その結果として問題になるのが、思考過程や判断過程の見えにくさです。

AIが情報を要約し、整理し、必要そうなものを先に示すようになると、人間は膨大な情報を一から確認するのではなく、AIが整理した情報を入口にして物事を見るようになります。病院、学校、交通手段、買い物、相談先、行政サービスなどについても、AIが候補を示すようになれば、人間はその候補の中から選ぶ場面が増えます。

これは便利である一方、人間がどのような過程で考え、判断したのかが見えにくくなる危うさがあります。人間が自分で資料を読み、比較し、悩みながら判断した場合には、その過程をある程度説明できます。しかし、AIが要約した情報や、AIが示した候補を出発点にして判断する場合、何が要約され、何が省略され、どの候補がどのような基準で示されたのかが見えにくくなります。

AIそのものの処理が複雑であることも、この問題を大きくします。AIは大量のデータをもとに複雑な処理を行います。特に機械学習や深層学習では、なぜその結果になったのかを、人間が一目で理解しにくい場合があります。[3] さらに、AIがどのようなデータを使い、何を重視しているのかも見えにくくなります。

加えて、AIを使う人間側の運用も不透明さを生みます。AIが最終判断をしていなくても、AIが出した分類、予測、要約、優先順位が、人間の判断材料として使われることがあります。そのとき、どこまでAIの結果を参考にしたのか、人間がどこで確認し、どこで修正したのかが外から見えなければ、判断過程全体が不透明になります。

その結果、なぜその案内が出たのか、なぜ自分は対象外になったのか、なぜこの地域が優先されたのか、なぜこの情報が表示されたのかがわかりにくくなります。便利さが増す一方で、判断の過程が見えなくなれば、不信感も生まれます。自分に関わる判断であればなおさらです。

つまり、AIが社会に浸透するということは、単に作業が自動化されることではありません。表向きはこれまでと同じサービスや制度に見えていても、その裏側でAIが情報を整理し、判断材料をつくり、選択肢を示すようになるということです。

人間はAIが整理した情報を通じて社会を見て、AIが示した選択肢を出発点に考え、AIがつくった判断材料をもとに意思決定する場面が増えていきます。こうした変化を踏まえると、次に問われるのは、行政がAI社会への移行をどのように支えるかです。


4. AI社会への移行を支える行政の役割

AIが社会に浸透し始めると、行政に求められる役割も変わってきます。住民の生活の入口にAIが組み込まれ、判断材料の多くをAIが整理するようになるとき、行政はその運用を担い、制度やサービスの中でAIをどのように使うのかを具体化していく立場になります。

行政は、単にAIを導入する側であるだけではありません。AIによって変化する仕事、学び、福祉、防災、地域社会を支え、住民が不利益を受けないように制度や環境を整える役割を持ちます。なお、AI社会の方向性や責任のあり方を示すのは政治の役割であり、その点は最後に改めて述べます.

また、行政自身も大きな組織であり、多くの情報、手続き、判断材料を扱っています。AI社会への対応を考えるなら、行政の外側にある社会の変化だけでなく、行政内部の仕事の進め方も見直す必要があります。

4-1. 行政自身の中核業務を見直す

行政でAIを使うというと、まず問い合わせ対応や文書作成の効率化が思い浮かぶかもしれません。もちろん、そうした業務の効率化も重要です。しかし、本来考えるべきなのは、行政の中核業務にAIをどう活用するかです。[4]

行政には、多くの条件を同時に見ながら判断しなければならない業務があります。予算編成、人事配置、事業評価、公共施設の維持管理、道路や河川などのインフラ管理、防災計画、福祉や医療の需要予測などです。これらは、限られた財源や人員、地域ごとの課題、将来の人口変化、災害リスク、住民ニーズなど、複雑な要素を組み合わせて考える必要があります。

こうした分野は、コンピュータが得意とする比較、集計、予測、組み合わせ、シミュレーションと相性があります。AIを使えば、過去のデータを整理し、複数の案を比較し、見落としやすいリスクを示し、判断材料を増やすことができます。

たとえば、予算編成では、過去の事業実績、人口動態、施設の老朽化、地域ごとの課題、将来の財政負担などを整理し、複数の配分案を比較することが考えられます。人事では、職員の経験、専門性、配置状況、業務量、将来の育成方針などを踏まえて、配置案を検討する補助として使うことも考えられます。

ただし、AIに任せればよいという話ではありません。予算や人事は、単なる最適化ではなく、行政の方針や価値判断が表れる領域です。AIは判断材料を増やすことはできますが、何を優先するのか、誰に説明するのか、最終的に責任を負うのかは人間の役割です。

行政自身がAIを使うときほど、どのデータを使い、どの項目を重く見て、誰が結果を確認し、どのように説明するのかを明確にする必要があります。

4-2. 職種と働き方の移行を支える

AIが普及すると、仕事のあり方は大きく変わります。特に、コンピュータ上で完結する業務は、AIによる補助や代替の対象になりやすいと考えられます。文章作成、調査、集計、分類、翻訳、問い合わせ対応、資料作成などは、行政内部の業務であっても例外ではありません。

もちろん、すべてが直ちにAIに置き換わるわけではありません。しかし、これまで人間が時間をかけて行ってきた事務的、定型的な作業の多くは、AIを前提に見直されていく可能性があります。

その一方で、現場で実際に人と向き合い、身体を動かし、設備や地域の状況を見て判断する仕事の重要性は、むしろ高まっていくと考えられます。医療、介護、保育、教育、建設、交通、物流、防災、農林水産業など、社会を支える現場の仕事は、AIだけで完結させることができません。

行政内部でも同じです。AIが資料を整理し、案を作り、データを分析できるようになるほど、現場を理解し、技術的に判断し、住民や事業者と調整できる職員の役割は重要になります。道路、河川、森林、農業、福祉、防災、公共施設など、現場を知る技術職や専門職の価値を改めて高めていく必要があります。

また、組織の形も変わる可能性があります。これまで中間管理職が担ってきた、情報を集める、整理する、報告する、進捗を確認する、会議資料をまとめるといった業務は、AIによって大きく省力化されるかもしれません。その結果、組織は、方針を決め責任を負うトップ層と、現場で実行し専門的に判断する現場層の二層化に近づき、それぞれの役割がより明確になる可能性があります。

ただし、それは中間層が不要になるという意味ではありません。トップの方針を現場に合わせて具体化し、現場の課題を政策判断につなげ、職員を育て、部署間を調整する役割は残ります。AI時代に問われるのは、中間管理職を単に減らすことではなく、情報の中継役から、判断、調整、育成、現場理解を担う役割へと変えていくことです。

AI時代の人材政策は、単にデジタル人材を増やすことだけでは不十分です。AIで代替されやすい業務から、AIを使いながら現場を支える業務へ、どのように人を移行させるか。現場職や技術職の処遇、育成、採用、継承をどう支えるか。ここが行政にとって大きな課題になります。

4-3. 学びと教育を再設計する

AIが社会に広がると、学びのあり方も変わります。AIに質問すれば、説明や答えの候補がすぐに返ってくる時代になります。調べる、まとめる、文章を書く、翻訳する、計算する、比較する、といった作業の多くはAIによって支援されるようになります。

これは大きな可能性です。子どもから大人まで、自分の理解度に合わせて説明を受けたり、苦手な部分を補ったり、学び直しをしたりしやすくなります。地域に住んでいても、専門的な知識にアクセスしやすくなります。行政としても、生涯学習、職業訓練、リスキリング、学校教育の中で、AIを活用した学びを支えることが重要になります。[5]

一方で、AIが答えをすぐに示すことで、自分で考える前に答えを受け取ってしまう危うさもあります。教育の分野では、AIを使うと子どもたちが考えなくなるのではないか、という懸念がよく語られます。この懸念には一定の理由があります。AIは、調べる、まとめる、文章を書く、答えの候補を出すといった作業を短時間で行うことができるためです。

しかし、それはAIそのものの問題というより、教育の仕方や課題の与え方がAI時代に合わなくなっているという面があります。従来の課題設定のままAIだけが入ってくれば、これまでの学習方法とのずれが生じるのは当然です。AIでできる作業が増えるなら、教育はその前提に立って、問いの立て方、答えの検証、考えの説明、他者との対話、自分の判断として引き受ける力を育てる方向に変わる必要があります。

重要なのは、AIを禁止することではなく、AIを使いながら考える力をどう育てるかです。

これからの教育では、知識を覚えることだけでなく、問いを立てる力、答えを検証する力、情報の出どころを確認する力、複数の見方を比べる力、自分の考えとして説明する力がより重要になります。これは、従来よりも低い水準の学びではなく、むしろAIを使いこなすことを前提とした、より高いレベルの学びだと言えるかもしれません。

また、AIを使える人と使えない人の差が、学びや仕事の差につながる可能性もあります。行政は、学校教育だけでなく、高齢者、子育て世代、働き直しをする人、地域の事業者など、幅広い人がAIを活用できる環境を整える必要があります。

そのためには、学校現場任せにするのではなく、教員研修、教材や課題設計の見直し、社会人の学び直し、地域でのAIリテラシー支援を組み合わせて進めることが必要です。AI時代の教育は、子どもだけの課題ではなく、地域全体の学び直しの課題として考えるべきです。

4-4. 福祉・医療・生活支援を支える

AIは、福祉、医療、生活支援の分野でも大きな役割を持つ可能性があります。高齢化が進み、支援を必要とする人が増える一方で、現場の人材は不足しています。こうした中で、AIを活用して情報を整理し、必要な支援につなげることは重要です。

たとえば、相談内容を整理し、適切な窓口や制度につなげる。医療や介護の需要を予測する。見守りや早期発見を支援する。支援が届きにくい人を見つける。多職種の連携を支える。こうした場面でAIは役立つ可能性があります。

ただし、福祉や医療は、単に効率化すればよい分野ではありません。ここで特に重要になるのが、2章で述べた「身体性」です。福祉や医療、生活支援の現場には、不安、孤独、痛み、疲労、移動の負担、生活の困難、家族関係、地域とのつながりなど、数字だけでは捉えにくい事情があります。

AIが支援対象を抽出したり、リスクを示したりすることはできます。しかし、AIは身体を持って生活している存在ではありません。痛みや不安を自分のものとして感じることも、移動のつらさや介護の負担、家族の心配を生活実感として受け止めることもできません。

その人が実際にどのような生活をしているのか、どのような不安を抱えているのか、どの支援なら受け入れられるのかを理解するには、人間による関わりが欠かせません。特に福祉や医療では、制度上は同じ条件に見えても、本人の体調、家族の状況、住まいの環境、地域とのつながりによって、必要な支援は大きく変わります。

だからこそ、福祉・医療・生活支援におけるAI活用は、人を減らすためではなく、人が人に向き合う時間を増やすために使うべきです。事務作業や情報整理をAIが支援し、現場の職員が相談、訪問、調整、寄り添いに力を向けられるようにすることが重要です。

4-5. 防災と危機管理の基盤を整える

防災や危機管理は、AIの活用が期待される分野の一つです。災害時には、気象情報、河川水位、土砂災害リスク、道路状況、避難所の開設状況、住民からの通報、物資の状況など、多くの情報が同時に動きます。人間だけでそれらを整理し、優先順位をつけることは容易ではありません。

AIを使えば、災害リスクの予測、避難情報の整理、被害状況の把握、物資配分の支援、通行可能な道路の把握、支援が必要な地域の抽出などがしやすくなる可能性があります。

一方で、防災分野でAIを活用するには、前提となる基礎的なデータが十分に整っているのかという課題があります。地形、道路、河川、避難所、要配慮者、過去の災害履歴などは、防災を考えるうえで重要な情報です。しかし、それらが常に最新で、地域の実情を反映し、AIで活用できる形に整理されているとは限りません。

さらに、地域ごとの避難のしやすさ、実際の移動負担、小規模な危険箇所、災害時の道路の使われ方、地域の助け合いの実態などは、そもそも十分にデータ化されていない場合があります。

AIは、存在しないデータや、更新されていないデータを前提に正しい判断をすることはできません。だからこそ、防災にAIを活用するには、まず地域の基礎的な情報を集め、更新し、使える形に整えることが重要になります。

AIは災害対応を高度化する力を持っています。しかし、最後に住民へ避難を呼びかけ、現場で状況を確認し、不安を受け止めるのは人間です。防災においても、AIは人間の判断と現場対応を支える道具として位置づけるべきです。

4-6. 情報環境と地域社会を守る

AIが広がると、情報環境も大きく変わります。文章、画像、音声、動画をAIが簡単に作れるようになれば、情報発信のハードルは下がります。これは、個人や小さな団体、地域の事業者にとって大きな可能性です。発信が苦手だった人でも、文章を整えたり、説明資料を作ったり、情報を届けたりしやすくなります。

一方で、もっともらしい誤情報、なりすまし、偽画像、偽音声、過度に扇情的な情報も増える可能性があります。特に、身体を介さない情報発信では、相手が本当に人間なのか、実在する人物や団体なのか、AIボットによる自動発信なのかが見えにくくなります。SNSなどを通じて、事実かどうか確認されない情報が広がれば、地域社会の不信や分断につながるおそれもあります。

これまで以上に、一人ひとりが情報を受け取るときの判断力を求められるようになります。誰が発信しているのか、一次情報はどこにあるのか、画像や音声は本物なのか、感情をあおるために作られた情報ではないかを確認する姿勢が重要になります。

また、行政は、情報を統制するのではなく、住民が信頼できる情報にたどり着ける環境を整える必要があります。災害時や感染症流行時、選挙、福祉制度、子育て支援、地域の安全に関わる情報などは、特に正確さと信頼性が重要です。

そのためには、行政自身がわかりやすく、早く、正確に情報を発信することが必要です。公式情報を見つけやすくすること、誤情報が広がったときに訂正情報を出すこと、住民が情報を見極める力を身につけられるようにすることも重要になります。

そして、AI時代には、地域社会のつながりそのものも大切になります。情報があふれる時代だからこそ、顔の見える関係、地域の信頼、現場での対話が支えになります。行政は、正確な情報発信と情報を見極める力の支援を進めると同時に、人と人との関係を弱めない地域づくりを意識する必要があります。


おわりに:AIを否定するのではなく受け入れ方を決める

AI社会への対応は、行政実務だけで完結するものではありません。どこにAIを使い、どこに人間の判断を残すのか。効率性を高めながら、どのように公平性や説明責任、人間の尊厳を守るのか。こうした価値判断は、政治が引き受けるべき課題です。[6]

政治にとって特に重要なのは、AIの使い方を「技術の問題」として行政や専門家に丸投げしないことです。行政がどのデータを使い、何を優先し、どのような基準で住民を支援するのかは、本来、住民が選んだ代表者が方向性を示すべき問いです。技術的に可能だからといって、なし崩し的にAIが判断材料をつくるようになれば、政治的な決定が見えないところで行われているのと同じになりかねません。

また、AI社会においては、制度の遅れが不公平を生む可能性があります。デジタルに不慣れな人、経済的に余裕がない人、地方に住む人が、AI社会の恩恵を受けにくくなるかもしれません。そうした格差を放置することも、政治の選択です。だからこそ、AIの導入を進める速度と、取り残される人を出さない制度整備を、同時に考える責任が政治にはあります。

AIは、住民の声を集め、整理し、論点を見つけるうえでも力を発揮する可能性があります。自由記述の意見、アンケート、相談内容、地域からの要望などを整理すれば、多くの意見の中にある傾向や、見落とされやすい課題を把握しやすくなるかもしれません。これまで一部の大きな声に埋もれていた意見や、行政に届きにくかった声を拾う手段にもなり得ます。

しかし、住民の意見をAIで整理することと、住民の意思をAIに決めさせることは違います。多数意見をどう受け止めるのか。少数意見にどのような重みを置くのか。地域の将来にとって何を優先するのか。そこには、単なる集計では済まない判断があります。

だからこそ、AI時代の政治に求められるのは、AIを否定することではなく、AIの使い方を決めることです。AIによって情報を整理し、住民の声をより広く把握しながらも、最終的な価値判断と責任は人間が引き受ける。そのためのルール、説明責任、合意形成の仕組みを整えることが必要です。

AIをどう受け入れるかは、これからの社会の形を決める問題です。便利さや効率性だけでなく、生活実感、地域の事情、少数者の声を大切にしながら、AIを人間の判断を支える道具として位置づけていく。その方向性を示し、行政が実行できる環境を整え、住民に説明しながら合意形成を進めることが、AI時代の政治に求められる役割です。

AIに社会を委ねるのではなく、AIを使いながらも、人間が社会のあり方を決めていく。その姿勢を失わないことが重要だと考えます。


参考資料

[1] Dartmouth College, “Artificial Intelligence (AI) Coined at Dartmouth.” 1956年の Dartmouth Summer Research Project on Artificial Intelligence がAI研究の重要な出発点として紹介されている資料。

[2] 本文でいう「身体性」は、認知科学における “embodied cognition(身体化された認知)” の議論とも関係する。Stanford Encyclopedia of Philosophy, “Embodied Cognition” を参照。

[3] AIの説明可能性やブラックボックス性については、OECD.AI「Transparency and explainability」およびAIセーフティ・インスティテュート(AISI)「米国NIST AI リスクマネジメントフレームワーク(RMF)の日本語翻訳版」を参照。

[4] 行政における生成AIの調達・利活用やリスク管理については、デジタル庁「行政の進化と革新のための生成AIの調達・利活用に係るガイドライン」を参照。

[5] 教育・研究分野における生成AIの活用と人間中心の能力形成については、UNESCO, “Guidance for generative AI in education and research” を参照。

[6] 人間中心、公平性、説明責任を重視するAI原則については、OECD AI Principles および総務省・経済産業省「AI事業者ガイドライン」を参照。


執筆について

本稿の作成にあたっては、構成整理や推敲の補助として生成AIを活用しました。内容の確認および最終的な文責は筆者にあります。

 


2019年の年末頃、世界中がコロナ禍に陥りました。
感染を防ぐため、人との接触の機会をできるだけ少なくする流れの中、社会で着目されたのがいわゆる「デジタル」という手段でした。
民間のみならず行政においてもこれは同様です。
本ページでは行政とデジタルの関係について記していきます。

1.情報伝達の歴史

人は一人では生きていけず、社会性をもつ生物です。
太古の昔から人類は他者とコミュニケーションを取ってきました。
おそらく最初は他者の視線や動作、声などだったでしょう。
人類が進化するにつれ、声に意味を持たせた「言葉」が生まれていきました。
言葉を石板などに残すために「文字」が生まれました。遠くの他者と情報交換するために「手紙」を送るようになりました。
手紙ではやり取りに時間がかかるため、「電話」によって即時のやり取りができるようになりました。
そして現在、声だけでなく様々なものが即時にやり取りできる「インターネット」が普及し、技術革新の中でやり取りできるものが増えていきました。
そのため、中山間地でもいろんなことができるようになり、場所・時間といった様々な障害を乗りえることができます。

2.コンピューターとデジタル

インターネットはコンピューターを操作することで接続できます。
コンピューターの名前は “compute:計算する” から来ており、その由来のとおり計算する物(者)です。
文房具のひとつである計算尺もごく単純なコンピューターと言ってもよいでしょう。
コンピューターは進化し、現在ではPC(パソコン)のみならず、多くの方が使っているスマートフォンといった携帯できるコンピューターが主流となっています。
その現代のコンピューターはデジタル形式の情報を扱います。
デジタルとは “digital:離散的” という意味です。(ちなみに、反対の意味として扱われるアナログは “analog:連続的” という意味です。)
これは時計をイメージするとわかりやすいです。
デジタル時計では60段階の秒・分、12段階の時間しか表せませんが、アナログ時計は段階数に限りはありません。
ちなみに、コンピューターで扱うデジタルデータは2進数で表現されます。
私たちが日常で使っている10進数は0~9の組み合わせ、数を1ずつ増やしたときに9の次は桁が1つ上がって10になります。
2進数は0と1の組み合わせです。
1+1=10です。
2進数で表現するのはコンピューターの構成上、都合がよいのです。
2進数だと、構成している部品に電圧がかかっている(1)かいないか(0)の2通りで表すことができます。
その部品が大量に組み合わされてコンピューターが出来上がっています。
他にも磁気ディスク等では磁気の向き、原始的な紙のカードなどでは穴が開いているかいないかなど、2パターンになるものはなんでもデジタルデータに置き換えることができます。

3.コンピューター・デジタルの特徴

コンピューターは機械なので「間違えることなく」「疲れない(時にメンテナンスは必要ですが)」が特徴で、技術の進歩によって「超高速」で計算することができます。(ここで「計算」は「情報を処理」と言い換えても構いません)
コンピューターは指示(入力)に忠実に計算しますが、指示が間違っていると当然答え(出力)も間違えます。
また、デジタルデータは0と1で表されるため、データの複製のエラーの確率が小さくできます。(0.5や0.3333など中間の値は存在せず、0か1のどちらかになるため)
これはメリットでもあり、デメリットでもあります。(簡単に複製できる)
さらに、デジタルデータにすることで保存する場所が相当節約できます。
例えば、ノートパソコン (1.0TBとする) が保存できる書類の量は、文庫本 (1冊100MBとする) 1万冊分です。
デジタル化に対しては、このような特徴を活用していくことが必要です。

4.これからのデジタルを活用した行政

どこをデジタル化していくのか。
大別して2つあります。
それは、①住民―行政間、②行政内部、です。
本来であれば、②があって①があるわけですが、日本においては急速にデジタル化の流れが来てしまったため②も追いついていません。
住民から受け取ったデジタルの申請が行政内部ではアナログ(紙)で処理されることもあります。
②において進めなければいけないことは、不要な押印を無くすなど紙を使わずに業務を進められるようにすることや、行政が保有している情報のデータベース化を進めていくこと、今までのアナログベースの情報をデジタルベースの情報に更新していくこと、ルーチンワークを自動化することなどです。
①においては、インターネットを通じたオンラインによる申請手続きや相談なのができる環境を整えることがありますが、私はここで行政側においてやらなければならないことがあると考えています。
それは、デジタル端末を扱うことに不慣れな方々に対し、どのように行政サービスを提供していくかということです。
さらに、デジタル端末を扱うことに抵抗のない方々でも扱いづらい行政のシステムが多く存在します。
行政側は、今まで申請用紙に特段の理由もなく住民に書かせていたような項目などを排除するなど住民側の立場にたち、行政とのやり取りがどうすればスムーズになるかといった業務手続きの流れを見直すところから始める必要があります(行政のDX:デジタルトランスフォーメーション)。

2022年の12月議会におきまして、私に一般質問の機会がありました。
最後にその質問と答弁を掲載します。


【質問】
ある住民が何らかの行政サービスを受けようとする際、その住民は自ら適した制度を探し、行政に利用の申請を行うが、住民が期待している行政サービスまでたどり着くには未だに困難なケースもある。これは、行政サービスの広報など申請以前の問題である。
また、新型コロナウイルス感染拡大防止協力金申請は、コロナ禍により電子申請が可能となったが、電子申請に不慣れな方が飲食店等を営んでいる場合も多かったことは記憶に新しい。これは、行政サービスへの申請方法の問題である。
さらに、被災時の応急住宅への入居では、入居の申込みの他に罹災証明書が必要だが、南海トラフ地震が起きた際には多くの被災者に罹災証明書の提出を求めるのか。行政として、県民の目線に立ち、対応していくべきであると考える。これは、行政サービスへの申請そのものの在り方の問題である。
個人的には、デジタルを活用することで、情報端末に触れる必要がなくなることがDXの考え方の一つだと思っている。
これらから、添付書類などを減らす申請手続の簡略化に加え、そもそも申請そのものが必要であるかを検討し、申請自体をスキップできてしまうことが特に命や生活に関わる行政サービスの利用には求められるのではないか。
そこで、県民の利便性向上とともに申請手続の見直し等に向け、県はこれからの行政サービス提供の在り方についてどのように考えるのか所見を伺う。


【答弁(経営管理部長)】
県民の皆様のニーズに沿った利便性の高い行政サービスを提供していくためには、業務の様々な場面でデジタル技術を活用するとともに、行政サービス提供の端緒となる申請手続自体も見直していくことが重要であると認識している。
このため、県では、県民の皆様が、行政サービスの申請を簡便に行えるよう、申請手続のオンライン化の推進に併せ、各種申請書への押印廃止や添付書類の削減等を進めている。
一方、国や他自治体においては、一人ひとりに合ったお知らせをスマートフォン等に表示するプッシュ型の情報提供や、各所属で保有する情報を統合し活用するワンストップサービスの実施といった先駆的な取組のほか、浸水の危険性がある地域の状況をリアルタイムで把握できるセンサーを設置し、災害時の早期対応や罹災証明の簡素化・迅速化に向けた実証実験を行うなど、新たな動きが出てきている。
県としては、こうした先進的な取組にも注視しつつ、例えば、職員が窓口で必要事項を聞き取り、県民に代わってシステムに入力する「書かない窓口」や、出先機関の窓口と担当部署を遠隔でつなぎ、身近な窓口でも相談等の対応が可能となる「リモート窓口」の導入など、提供するサービスの種類や状況に応じ、必要なサービスが必要とされる方へ適時・適切に届けられる行政サービス提供の在り方について検討していく。

2023年3月23日